生活

「元気(勇気・感動)をもらった」という言葉に違和感を感じるのはなぜ?

とうとうやってくるオリンピック・パラリンピック!

また、いろんな場面でアスリートたちの活躍を目にすることでしょう。

楽しみであるのは間違いないですが、きっとまた「元気・勇気・感動をもらった」とか、「感動をありがとう」とかいう言葉が飛び交うはずです。

今回は、ちょっと意外だった「元気・勇気・感動をもらった」という言葉に違和感を感じるということを考えてみたいと思います。

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「元気(勇気・感動)をもらった」という言葉に違和感を感じる?


 
一体いつ頃から、「元気(勇気・感動)をもらった」という言い回しがあったのでしょうか?

特に有名アスリートや芸能人などに対して、使われる言葉だと思いますが、違和感を感じますか?

違和感を感じる派

ネット上(知恵袋や発言小町など)で拾った意見が次の通りです。

  • 薄っぺらい感じがしてしまう
  • ムズムズする
  • マスコミなどが求めている「締めのひと言」みたい
  • いかにも便利な言葉
  • 言葉を悪いとか間違いだとは思わないが、陳腐でプアだと思う
  • 勇気もらった、元気もらった、笑顔もらった、とか言う人とは極力付き合わないようにしている
    なぜならそんなものは人からもらうものではないから。
  • ~をもらった、の言い回しを使う有名人は、面倒臭がりか表現力がないかのどっちか
  • 感動をもらったという言葉が聞こえてきたとたんに涙もスーッと音を立てて引いて行く
  • 典型的な紋切り型
  • あげるとも言われてないのに勝手に「もらった!」りしていいのか?
  • 自己陶酔感がキライ

などでした。

実は私は、アスリートや芸能人が「元気(勇気・感動)を与える(与えたい)」ということには、違和感を感じるタイプでしたが、「もらう」「もらった」についてはまったく違和感を感じたことがなかったのです。

その意見を拝読すると、言われてみたらそうかも?と思うところはありました。

確かに、元気も勇気も感動も笑顔も他人から貰うものじゃないですよね?

でも、その人達に影響を受けて、心(感情)が動いたことは確かなのでそれを「もらった」と表現することがおかしいのかな?と感じました。

期待していなかった競技を見てて、予想外に勝利した時の高揚感を感謝したいときに出てくる言葉として「感動をもらった」では駄目なのか?

日本語って難しいなと短絡的に思ってしまうのです。

違和感を感じない派

こちらもネット上(知恵袋や発言小町など)で拾った意見が次の通りです。

  • へりくだったり、謙遜したりする表現としては妥当
  • 「元気を出したい」って思ってる人にこそ響くのかも
  • 他人を立てる人の方が好感を持たれやすい
  • スポーツ選手のプレーに、又、人の生き様や言葉などにも元気をもらったりするときってある
  • ちょっとうきうきした感じが生まれたことを「元気をもらった」というのではないかな?
  • もらうという感覚はとても素敵な柔らかい言葉に聞こえる
  • ひねくれたことばかり言っていないで、元気でも勇気でも貰えるものがあるんならどこへでも行って貰ってきたら
  • 体調を崩して鬱々と過ごされていた方が、ルールもよく知らないサッカーの試合をみてカーっと熱くなった時に
    「あぁ、力をもらったってこういうことか~、」と感じた。
  • マスコミの「盛り上げ」づくりに、素直にノれて楽しめるひとたち

などでした。

私個人としては、本当にアスリートが頑張って良い結果を出した時などは、単純に感動して、元気になれるので「元気(勇気・感動)をもらった」気分に浸るし、言葉にも出したりします。

マスコミの「盛り上げ」づくりに乗れるタイプなのでしょう。

「元気(勇気・感動)をもらった」の言い換えとして


 

  • 「あなたの話を聞いていたら、元気が漲ってきた」
  • 「~で元気が出た」「~で勇気が出た」
  • 「元気にさせてもらった」「感動させてもらった」

「~にさせてもらった」に関してはおそらく、もともとはそう言うべきところを省略したり、強調したりして「元気(勇気・感動)をもらった」となってしまったのかも。

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有名人の見解は?

マツコ・デラックスさん

元を正せば、報道自体がそういう感じになっちゃっている。
誰かが偉業をなしとげた時に、コメンテーターや司会者の人が『いやー本当に勇気もらいましたね』と言っている。
それがテキストというかお手本のようにあるから、世の中がそういう流れになっていってしまうのでは
引用元:『5時に夢中!』にて

実に的を射ている見解ですよね?

コメンテーターやMCさんなどが言うなら、間違いない言い方だろうなと思ってしまうものですものね。

故・ナンシー関さん(消しゴム版画家)

こちらは、「感動をもらった(もらう)」には当たらないのですが、関連していると思います。

「千葉すずは日本に蔓延する「感動させてくれ病」の特効薬か」というタイトルで記事を書かれていたナンシー関さん。

アトランタオリンピックの時なので24年前の話なのですが、とても面白いのです。

ここ数年、世の中に深く静かに広まっていた「感動させてくれ病」は、オリンピックという4年に1度の絶好のどさくさに紛れて、飛躍的にその病状を進めた。

何か急にタガを外されでもしたように、誰はばかることもなく「感動させてくれ」と大声で叫び出した。

「頑張ってお国のためにメダルを取って来い」というエゴイズムを悔い改めた正義が「感動させてくれ」だと思っているのである。

「メダル取って来い」も「感動させろ」も、観戦者に言う権利などあるのか。

『ナンバー』1996.9.12号/『何が何だか』角川文庫所収)より部分抜粋

部分抜粋ですが、それだけでも納得できることが書いてあると思いましたがいかがでしょうか?

私たちは皆、「感動させてくれ病」「感動をもらいたい病」なのかもしれませんね。

アスリートの皆さんには、結果はどうあれ「日頃の練習の成果を出し切ってもらいたい」本人が満足できる結果ならそれが一番なんだなという気持ちになりました。

「元気(勇気・感動)をもらう(もらった)」という言葉は、アスリートたちの足かせになるかもしれないなとこれまでのエゴを反省します。

「元気(勇気・感動)を与える」という言葉に違和感を感じるのはなぜ?オリンピックまであと半年を切りました。 TVなどでは、オリンピック・パラリンピックの代表選手が決定すると、こぞってインタビューなど...

さいごに

なぜ、「元気(勇気・感動)をもらった」という言葉(言い回し)に違和感があるのか?

それはおそらく、元気(勇気・感動)はもらうものではなく、自発的に自分から湧き出る感情だということによるようです。

過去『毎日新聞』に取り上げられたことで「勇気をもらった」「元気をもらった」と答える言い回しに対する違和感を持つ人の存在は周知の事実となりました。

前出のマツコ・デラックスさんのコメントはこの記事を受けての発言でもありました。

「元気(勇気・感動)を与える」も「もらう」も、聞く人や受け取り手に寄っては、不快感をもたらすものであることは間違いありません。

真意はどうあれ、不快なものは不快なのです。

いつの間にか「元気(勇気・感動)を与えたい」者が「元気(勇気・感動)をもらった」りする者を満足させたり、させなかったりするのが定着してしまった感が否めないです。

オリンピック・パラリンピックでどのくらいの「与えたい」「もらった」を耳にする事でしょう。

今となっては、ちょっと興味すら出てきました。

あまりに定番の表現(言い回し)になってしまったので、そう言わない人が変人扱いされかねない風潮ですよね?

そういう時には、「元気にさせてもらった」「勇気が出てきた」「感動させてもらった」という表現をしたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました!