生活

「元気(勇気・感動)を与える」という言葉に違和感を感じるのはなぜ?

オリンピックまであと半年を切りました。

TVなどでは、オリンピック・パラリンピックの代表選手が決定すると、こぞってインタビューなどが行われます。

その中で時々耳にする「「元気(勇気・感動)」を与えたい」という言葉。

「自分が良い結果を残すことで、日本の皆さんに元気(勇気・感動)を与えたいです」とかなんとか・・・。

また、有名アスリートや芸能人が被災地の方々に向けてのエールとしてもよく語られる言葉でもあります。

今回はこの「元気(勇気・感動)を与える」という言葉になにかしらの違和感を感じることについて、いろいろ考えてみたいと思います。

スポンサーリンク

 

「元気(勇気・感動)を与える」という言葉について考えてみた!

アスリートや芸能人が口にする「元気(勇気・感動)を与えたいです」や「与えられたらうれしいです」などの言葉に、少なからず違和感を感じる方もいらっしゃるのでは?

実をいうと、私もその言葉に得体のしれないモヤモヤしたものを感じるタイプでした。

これって、もしや私だけなのかな?と思い、検索してみると・・・。

やはり、一定数の方が違和感を持っていることがわかったのです。

この違和感の正体を突き止めてみたくなりました。

よかったら、お付き合いくださいませ!

そもそも、与えるという意味は?

  1. 自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。現在ではやや改まった言い方で、恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる。「子供におやつを―・える」「賞を―・える」
  2. 相手のためになるものを提供する。「援助を―・える」「注意を―・える」
  3. ある人の判断で人に何かをさせる。
    相手に何かができるようにしてやる。配慮して利用することを認める。「発言の自由を―・える」「口実を―・える」
    割り当てる。課する。「宿題を―・える」「役割を―・える」
  4. 影響を及ぼす。
    相手に、ある気持ち・感じなどをもたせる。「感銘を―・える」「いい印象を―・える」「苦痛を―・える」
    こうむらせる。「損害を―・える」

引用元:goo辞書

他の辞書も調べましたが、ほとんど同等のことが書かれていました。

個人的なイメージとしては、「目下の者に授ける場合に多く用いる」という意味合いが強いです。

元気(勇気・感動を)「与える」の類似語としては?

  • 遣る(やる)
  • 呉れる(くれる)
  • 授ける(さずける)
  • 施す(ほどこす)
  • 恵む(めぐむ)

などがあり、そのどれもがやはり目上から目下に使われる言葉という印象が色濃いですね。


 
上の類似語は飼い主がペットに餌やりをする時に使う時は普通に使えるけれど、人が人に対しては失礼にあたる気がして使いづらいと思いました。

元気(勇気・感動を)「与える」という言葉に対して否定的な意見は?

以下のような意見が・・・

  • 傲慢な言い方だ。
  • 上から目線だ。
  • 何様?神様なの?
  • 鼻に突く言い回しだ。
  • 嫌いな人からの言葉だと「いらねーよ」と思う。
  • 図々しさが含まれている。
  • ちょっとした言葉や表現のデリカシーって大切。
  • うんざり!一度気になりだすと駄目。
  • 軽率だ。
  • 国語力が低いか傲慢な性格をアピールしているようだ。
  • おこがましい。
  • 独りよがりだ。
  • 感動(元気・勇気)の押し売りはご免だ。
  • 「感動を与えたい」と言っているのを聞いただけでその人がイヤになる。
  • 謙虚を美徳とする日本人には受け入れがたい筈。

など、知恵袋や発言小町などの掲示板的な書き込みサイトにあがっている意見がこんなにありました。

私が感じていた違和感を説明するとしたら、おこがましい・・・という言葉が一番近い気がします。

書き込みに書かれていて説得力があると感じたのは、「元気・勇気・感動」などは与えられて感じるものではなく、自分の中から湧き出る感情だから、その表現はおかしいという意見でした。

言葉とは難しいものですね。

おそらく、発言する側には善意しかないはずなのに、受け取る側には伝わるどころかややもすると失礼だと思われてしまう・・・。

なんとも残念なことですが、現実としては反感すらかってしまうこともあるのですね。

元気(勇気・感動を)「与える」という言葉に対して違和感を感じない!

こちらの意見は別に違和感なんて感じない!という意見。こちらも一定数いました。

  • そんな目くじら立てなくてもいいのでは?
  • あげ足取りみたい。
  • 頑張ってほしいという祈りのこもった言葉だと思う。
  • プロアスリートや芸能人は自分のパフォーマンスで客に勇気や感動を与えることを仕事にしているわけで、傲慢でも何でもないと思う。

と、違和感を感じない方はそういう書き込みをされていました。

私が一番「おっと~!」と感じたのは、「傲慢でもいい、無関心よりは」という意見でした。

被災地での(元気を与えたいというニュアンスの)発言を聞いた方の意見だったようですが、確かに無関心よりはずっといいかなと思いました。

スポンサーリンク

 

元気(勇気・感動)を「与える」を言い換えるとしたら?


 

  • 元気(勇気・感動)を『与えたいと願う。』
  • 元気(勇気・感動)を『届けたい。』
  • 元気(勇気・感動)を『贈りたい。』
  • 励ますことが出来るなら嬉しい。
  • 一瞬でも笑顔になってくれれば・・・。

私個人としては、元気(勇気・感動)を「届けたい」「お届けしたい」が上から目線と思われない表現ではないかと思いました。

やはり、言葉は難しいですよね。

同じ言葉であっても、例えばマザー・テレサやヨハネ・パウロ二世などの聖職者が発言する「与える」だったら、さほど違和感など持たない気がします。

それが小学生から、「与える」「与えたい」なんてフレーズを耳にしたら「なんだ?こいつ・・・」となるでしょう。

要するに、人の上に立つ指導者的な立場の人から「与えられる」のは許容できるけれど、そうでない人から「与えられる」いわれはないということなのかと思います。

それって、ある意味「意地とプライド」の成せる業なのでしょうか?

元気(勇気・感動)を「与える」の言葉を使ったツイートには・・・

★作家の村上龍さんのツイートを見つけました。

このシチュエーションの「元気を与える」は、上から目線も何もない・・・。

人間が輝いていれば、自分から元気を与えなくても勝手に相手に元気になってもらえる力がある。しかし難しいことだ。という解釈になるのでしょうか。

★松下幸之助さんの言葉で元気をくれる言葉集から。

この言葉を拝見すると、「元気を与える」という言葉に違和感を感じるのはおかしいのかな?と思ってしまいます。

誰にでも与えるものはある。としたら、プロアスリートや芸能人の元気(勇気・感動)を与えることなんて、至って当たり前なことかもしれません。

さいごに

今回は「与える」という言葉に対して、いろいろ考えてみました。

元気(勇気・感動)を「与える」という言葉に違和感を感じるのは、言葉そのものの意味からして目上の者から目下の者に「与える」という言葉が主に使われてきたためだと考えられます。

耳障りの良し悪しは、個人差がありますので一概に善悪の判断ができるものでもないようです。

与える、もしくは与えないを使った諺には

  • 天は二物を与えず
  • 求めよ、さらば与えられん(新約聖書マタイ)
  • 神は乗り越えられる試練しか与えない

その3つとも人間以外の者から与えられているという共通点などから、潜在意識の中に「与える」ことができるのは崇高な存在だけというイメージがあるのではないかと思われます。

もう、それは感覚的なものなのですね。

結論としては、上から目線の物言いだと思われたくないのなら、元気(勇気・感動)を「与える」「与えたい」という表現は避けた方が無難であるということですね。

元気(勇気・感動)を「与える」という言葉を調べていて分かったことですが、元気(勇気・感動)を「もらう」「もらった」という表現にも違和感を感じる方がいるようです。

そちらは、私個人的には違和感を感じなかったので興味深いなと思いました。

「元気(勇気・感動)をもらった」という言葉に違和感を感じるのはなぜ?とうとうやってくるオリンピック・パラリンピック! また、いろんな場面でアスリートたちの活躍を目にすることでしょう。 楽しみで...

最後までお読みいただきありがとうございました!