今年の年末の風物詩NHK紅白歌合戦に、北島三郎さんが再出場されることが決まりました。
北島三郎さんと言えば、出場回数50回目を境に、後進のために紅白を引退したのが5年前。
今後は特別枠でも出演しないということだったのに、どういう心境の変化だったのでしょうか?
今回は、北島三郎さんの紅白に関する情報を調べました。
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目次
北島三郎さんはなぜ紅白に再出場するのか?

北島三郎さんは、2013年に紅白歌合戦出場50回を機に、後進のために引退を表明しました。
2016年の記事では、「今後、特別枠であっても出場はしない」という話しも飛び交っていたのですが、今年は出場するというのです。
それはどうした心変わりだったのか?
紅白の公式ホームページには、「平成最後の紅白という記念の年にやっぱりサブちゃんを紅白でみたい!」という声が多数あったようです。
番組からの出演依頼を受けて特別に出演が決まったのだとか。
ファンの声に応えたかたちですね。さすが、演歌の大御所北島三郎!男気を感じますね。
違う記事には、卒業後「新しい時代の紅白になったときに協力することがあれば協力したい」と仰っていたという話しもありました。
このところ、「平成最後の○○」というフレーズをよく耳にするようになりました。
年号が変わるというのは、それなりに皆思い入れがあるのですね。
そうそう、年号なんて変わらないのですから、無理もありませんね。
紅白歌合戦と言えば、本当に年の瀬の代名詞という感じなので、北島三郎さんの歌声が聞けるのは嬉しい限りです。
北島三郎さんが紅白再出場をするにあたってネット民の声は?
ネットニュースにて
お~っ!北島三郎御大、紅白歌合戦出演!!
それも『まつり!』を歌うらしい😲
♪ま~つりだ!まつりだ!まつりだっ!
大晦日は頑張って起きて・・・られるかなぁ~??😅— がんちゃん@配送中! (@nganchan0628) 2018年12月4日
◆サブちゃん大歓迎! 特に「まつり」は紅白っぽくて良いと思います。
年齢的にも体がキツイとは思うけど、頑張ってください!◆紅白と言えばサブちゃん
復活するのに目玉になると思う確かにいい案だよ
でも、小林幸子&美川憲一も平成の紅白を盛り上げたのに・・・◆20代からみてもサブちゃん出るとこれぞ紅白って感じがする。
ずっと同じ曲を歌ってるけど他の歌手さんと違って
貫録と威厳を魅せてくれる。◆昭和~平成の紅白を担った伯楽。平成最後の紅白、一度は紅白を引退したけど、NHKの熱い思いに応えたのでしょう。
一夜限りの復活、良いじゃないですか。
男北島を平成最後にしっかりと目に焼き付けます。◆平成の最後の締めくくりをサブちゃんがとてもいい事と思います
例年わりと若い方が多いようにおもいます どの世代の人もたのしめる
紅白にされたらいいともいますなのでサブちゃんの祭りをもって今年平成を締めくくっていただきたいです サブちゃん頑張ってください
応援しています◆おばぁちゃんが生きてたら、めちゃくちゃ喜んだだろうなぁ。
NHK自体に批判も多いけど、紅白って年越しのお祭りみたいな感じで、明るく楽しくしてもらえたら素敵だな。なんだかんだ紅白を楽しみにしている人はたくさんいると思うし。NHKのお偉い様方がお行儀良くしてもらえたら、それでいいのにな。
◆平成最後の年の紅白だから特別感として「まつり」で盛り上がるの良いと思う。いつもは見ないけど見てみても良いかな?って思った
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp
まさに、NHKの作戦勝ちって感じがしました。
私も普段は見なくなった紅白ですが、北島三郎さんの「まつり」で、今年を締めくくろうと思いました。
北島三郎さんが紅白で歌った歌一覧

- 1963年(昭和38年)/第14回 ギター仁義
- 1964年(昭和39年)/第15回 ソーラン仁義
- 1965年(昭和40年)/第16回 帰ろかな
- 1966年(昭和41年)/第17回 函館の女
- 1967年(昭和42年)/第18回 博多の女
- 1968年(昭和43年)/第19回 薩摩の女
- 1969年(昭和44年)/第20回 加賀の女
- 1970年(昭和45年)/第21回 誠
- 1971年(昭和46年)/第22回 北海太鼓
- 1972年(昭和47年)/第23回 冬の宿
- 1973年(昭和48年)/第24回 帰ろかな
- 1974年(昭和49年)/第25回 寒流
- 1975年(昭和50年)/第26回 残雪
- 1976年(昭和51年)/第27回 歩
- 1977年(昭和52年)/第28回 終着駅は始発駅
- 1978年(昭和53年)/第29回 与作
- 1979年(昭和54年)/第30回 与作(2回目)
- 1980年(昭和55年)/第31回 風雪ながれ旅
- 1981年(昭和56年)/第32回 風雪ながれ旅(2回目)
- 1982年(昭和57年)/第33回 なみだ船
- 1983年(昭和58年)/第34回 漁歌
- 1984年(昭和59年)/第35回 まつり
- 1985年(昭和60年)/第36回 十九のまつり
- 1987年(昭和62年)/第38回 川
- 1988年(昭和63年)/第39回 年輪
- 1989年(平成元年)/第40回 夜汽車
- 1990年(平成2年)/第41回 山
- 1991年(平成3年)/第42回 北の大地
- 1992年(平成4年)/第43回 帰ろかな(3回目)
- 1993年(平成5年)/第44回 まつり(2回目)
- 1994年(平成6年)/第45回 年輪(2回目)
- 1995年(平成7年)/第46回 谷
- 1996年(平成8年)/第47回 風雪ながれ旅(3回目)
- 1997年(平成9年)/第48回 竹
- 1998年(平成10年)/第49回 根っこ
- 1999年(平成11年)/第50回 まつり(3回目)
- 2000年(平成12年)/第51回 帰ろかな(4回目)
- 2001年(平成13年)/第52回 山(2回目)
- 2003年(平成15年)/第54回 風雪ながれ旅(4回目)
- 2004年(平成16年)/第55回 峠
- 2005年(平成17年)/第56回 風雪ながれ旅(5回目)
- 2006年(平成18年)/第57回 まつり(4回目)
- 2007年(平成19年)/第58回 帰ろかな(6回目)
- 2008年(平成20年)/第59回 北の漁場
- 2009年(平成21年)/第60回 まつり(5回目)
- 2010年(平成22年)/第61回 風雪ながれ旅(6回目)
- 2011年(平成23年)/第62回 帰ろかな(7回目)
- 2012年(平成24年)/第63回 風雪ながれ旅(7回目)
- 2013年(平成25年)/第64回 まつり(6回目)
「まつり」は何回歌ったのか?

- 与作・・・・・2回
- 年輪・・・・・2回
- 山・・・・・・2回
- 風雪ながれ旅・・・・・7回
- 帰ろかな・・・・・・・7回
- まつり・・・・・・・・6回 今年で7回目
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北島三郎さんの紅白歌合戦の歴史
1963年に第14回NHK紅白歌合戦に初出場して以来、連続出場を続けていました。
しかし、連続出場回数24回目のはずだった、第37回(1986年)は暴力団との交際が明らかになったため直前に降板しています。
そのことで連続出場回数は23回で止まりました。
しかし、翌年2年ぶりに復帰し、連続出場を続けることになります。
当初は芸道50周年にあわせて第62回(2011年、48度目)限りで紅白を勇退する予定だったそうです。
しかし、その年の紅白歌合戦は東日本大震災関連の演出などが優先されたため公表はせずに続投することに。
第64回(2013年)で史上初の出場50回を達成したのを機に、勇退しました。
通算トリ回数13回(美空ひばり・五木ひろしに並び歴代1位。)
通算大トリ回数11回は美空ひばりに並び歴代1位。
またトリ前も13回担当しており、トリと合計26回は史上最多を記録しました。
出場年齢は勇退時で77歳となり、藤山一郎さんの78歳に次ぐ記録となりました。(その後、美輪明宏さんが80歳での出演を達成)。
今年、82歳の北島三郎さんが出演は果たされると、出場年齢記録を更新することになりますね。
北島三郎さんが紅白で許せなかった出演者とは?
50回の出演回数もあれば、様々なことがあったようです。
その中でも、北島三郎さんが許せない、不愉快な事件と言ったことがありました。
北島三郎さんは1981年の紅白で、紙吹雪が顔に貼りついたり、口に入ったりしたことがありました。

たまたま私も見ていたのですが、歌よりも紙吹雪が気になってしまって気の毒だったです。
しかし、そのことではなくて、2006年のDJ OZMAさんが出演した時のバックダンサーが脱いでいるように見えるコスチュームで登場したことが許せなかったそうです。
紅白歌合戦の舞台に誇りを持っていた北島さんにとって、許せないことだったようです。
それでも最後には「彼らはあれが仕事」と言ったのだそうです。器の大きな方ですよね。
まとめ
今年の紅白歌合戦では、北島三郎さんの他に北島さんのお弟子さんの、北山たけしさん(44)と大江裕さん(29)による特別ユニット「北島兄弟」も特別企画に参加され「ブラザー」を歌う予定です。
この曲は、北島三郎さんの次男で、今年亡くなった大地土子さんが作詞作曲した遺作になります。
息子さんを偲ぶ意味もあっての、出場なのかなと思いました。天国で息子さんも喜んでくださるでしょう。
皆さんは平成最後の紅白に何を期待してご覧になりますか?
最後までお読みいただきありがとうございました!