樹木希林さんと浅田美代子さんの関係は、親子のような姉妹のような親友同志のような風にみえますね。
ご本人たちの話によると「フグは割り勘で食べる仲」なんて、面白いです。
ドラマ「時間ですよ」で、デビューしたころ、樹木希林さんと浅田美代子さんは週5日の収録で家族よりも長い時間を共に過ごしていたことで、現在の付き合いに繋がっているそうです。
素敵ですよね。今回はそんなお二人の関係性について、バラエティー番組でのトークを主にまとめてみました。
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目次
樹木希林さんのプロフィール
- 本名 内田 啓子(旧姓:中谷)
- 生年月日 1943年1月15日
- 没年月日 2018年9月15日(75歳没)
- 出生地 東京府東京市(現・東京都千代田区)
- 死没地 東京都渋谷区
- 血液型 A型
- 職業 女優
- ジャンル 映画・テレビドラマ
- 活動期間 1961年 – 2018年
- 活動内容 1961年 – 文学座に入団
- 配偶者 岸田森(1964年 – 1968年) 内田裕也(1973年 – )
- 著名な家族 内田也哉子 本木雅弘 内田伽羅
主な作品
テレビドラマ
『時間ですよ』
『寺内貫太郎一家』
『ムー』
『ムー一族』
『影の軍団シリーズ』
『夢千代日記』
『はね駒』
『はみだし刑事情熱系』他映画
『夢千代日記』
『命』
『東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?』
『わが母の記』
『万引き家族』
引用元:Wikipedia
浅田美代子さんのプロフィール
- 身長 157cm
- 血液型 B型
- 職業 女優、タレント、歌手
- ジャンル テレビドラマ、映画、舞台、バラエティ番組への出演
- 活動期間 1973年 – 1977年 1983年 –
活動内容
1973年:『時間ですよ(第3シリーズ)』でデビュー
同年:『赤い風船』で歌手デビュー
1974年:『寺内貫太郎一家』
1977年:吉田拓郎と結婚、引退
1983年:吉田と離婚、女優として芸能界復帰
1991年:『101回目のプロポーズ』
1992年 – 2014年:『さんまのからくりTV』(1996年より『SUPERからくりTV』)
1994年 – 2009年:『釣りバカ日誌』シリーズ配偶者 吉田拓郎(1977年 – 1983年)
事務所 テアトル・ド・ポッシュ
バラエティー番組
『さんまのSUPERからくりTV』
『メレンゲの気持ち』
引用元:Wikipedia
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樹木希林さんと浅田美代子さんの関係
浅田美代子さんの結婚について
1973年:『時間ですよ(第3シリーズ)』でデビューした浅田美代子さん。
ドラマの世界の右も左もわからない新人時代は、金魚の糞のように樹木さんにくっついていたそうです。
そんな中、浅田美代子さんはフォークシンガーの吉田拓郎さんと交際していたのですが、樹木さんには相談もしなかったそうで、のちに樹木さんは「信頼されていなかったんだ」と愚痴っていました。
そうは言っても、当時の吉田拓郎さんは、既に妻も子もいる身だったのです。
浅田美代子さんのことを娘のように大事に想っていた樹木さんは、夫の内田裕也さんと共に吉田拓郎さんの行きつけの飲み屋に出向き、浅田さんとのことを問い詰めたそうです。
当時、フォーク界とロック界は関係が良くなかったそうで、吉田さんは内田さんが乗り込んできたことで、驚いたとか。
まさか浅田美代子さんの件で内田さんから意見されるとは思っていなかったのでしょう。
その後、吉田拓郎さんと浅田美代子さんは結婚することになったのですが、当時浅田美代子さんは20代前半の娘さん。ご両親は大反対だったそうです。
そこで、樹木さんは、浅田さんのお母様を説得したそうなのですが、その言葉が凄く直球でした。
「だってお母さん、美代ちゃんはもうやられちゃったのよ」でした。
お母さんは「そうなんですか・・・」と言って、しぶしぶ結婚を認めたそうなんです。
結局は、浅田さんと拓郎さんは8年後に離婚してしまったのですが、そんな裏話があったんですね。
樹木希林さんが明かす意外な浅田美代子さん
天然キャラの浅田美代子さんですが、樹木希林さん曰く「この人は頭がいいのよ。お料理がうまいの。手際が良くて、見栄えが良くて、味も良いのよ」
これには、マジで?と思ってしまいました。浅田さんが専業主婦時代、吉田さんがいきなり20人くらいの人数を自宅に招いても、しっかりお持てなしをしていたのだそう。
頭が下がり、尊敬さえしてしまう!この一言で私の中で、浅田美代子さんのカブが急上昇しました!
樹木希林さんの一言で浅田美代子さんは家を買った
浅田美代子さんは、独身だし、子供もいないので、一生賃貸でいいと思っていたのだそうです。
しかし、樹木さんに「60になったら、誰も家なんて貸してくれないよ」と言われたことで開眼。
樹木希林さんと一緒に物件探しから返済方法まで、なにかと相談に乗ってもらったとか。
浅田美代子さんの収入などをしっかり気にかけていて、「貴女、あの仕事のお金入ったでしょ?借りたものは一刻も早く返しましょう」と言われ、繰り上げ返済をしていったのだとか。
ここまで、言ってくれる人っていませんよね?完済した時は、銀行で記念にポラロイドカメラで写真を撮ったそうです。
樹木希林さんの教え
浅田美代子さんは、吉田拓郎さんと離婚後、芸能界に復帰しました。
その天然キャラを面白がった明石家さんまさんに「からくりTV」などに起用されて、離婚という暗いイメージからの脱却に成功しました。
樹木希林さんは「自分が経験したことはしっかり覚えておきなさいよ。」と仰っていました。
私はその言葉を伺って、人様の恩に感謝しなさいという意味だと理解しました。
樹木希林さんが浅田美代子さんに残したもの
浅田美代子さんには、これ!という代表作があまりありません。
そんな話をしていた頃、昨年“つなぎ融資の女王”こと山辺節子受刑者が詐欺罪で逮捕されました。
山辺受刑者と浅田美代子さんは同じ62歳であったことから、山辺受刑者をモチーフに映画を企画して浅田美代子さんを主演に抜擢しています。
公開は来年予定ですが、撮影はほとんど終了しているとのことです。樹木希林さんも出演しているそうで、樹木さんは浅田さんに演技指導などもなさったそうです。
樹木希林さんを語る浅田美代子さんの言葉
「希林さんを見ていると、歳を重ねることは素敵なことだ、って思えるんです。
女性はどうしても歳を取ることに抵抗があり、少しでも若く見られたいと思ってしまいがち。でも「歳をとりたくない」ってこと自体が後ろ向きじゃないですか」
引用元:『婦人公論』
樹木希林さんは内田裕也さんとの結婚生活では、別居したり、勝手に離婚届けを提出されたり、内田さんの女性問題など様々な苦難がありました。
並の女性なら凹んでしまいそうな出来事も樹木さんにとっては、生活の中での「起爆剤」という捉え方で乗り越えてこられました。
片目の視力を失った時も物事の裏側を見ることができるようになると前向きに捉えておられました。
ガンの告知も「逝く準備ができる」とおっしゃって、着々とお墓の修理やお葬式の手配など進めておられたそうです。
すべてのことを受け入れる覚悟が備わった生き方を選んでいらしたようです。
まとめ
樹木希林さんのことを浅田美代子さんは「母であり、姉であり、親友でもありました」とコメントされています。
40年以上のお付き合いで、内田裕也さんのことも「裕也」と呼び捨てにしているような間柄だというようにほとんど家族のような感覚なのでしょうね。
おそらく、浅田さんは今頃ぽっかりと心に穴が開いたような感じなのではないかと他人事ながら、心配してしまいます。
あとは、樹木希林さんが企画された樹木さんの遺作、浅田美代子さん主演の「エリカ38」の成功を祈るばかりです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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