今回は、樹木希林さんが浅田美代子さんのために?企画した遺作となった映画「エリカ38」について調べてみました。
樹木希林さんと浅田美代子さんは、45年くらいのお付き合いがあるそうです。浅田さんの追悼コメントの最後に「これからどうしよう」という言葉があるほどに浅田さんにとって、樹木希林さんは大きな存在だったようです。
浅田美代子さんには、これと言って代表作がないということで、樹木さんが心配されていたようです。
そんな時に世間を騒がせた詐欺事件をヒントに樹木さんが企画して撮影された映画「エリカ38」ちょっと面白そうです。
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目次
樹木希林さんのプロフィール
本名 内田 啓子(旧姓:中谷)
生年月日 1943年1月15日
没年月日 2018年9月15日(75歳没)
出生地 東京府東京市(現・東京都千代田区)
死没地 東京都渋谷区
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1961年 – 2018年
活動内容 1961年 – 文学座に入団
配偶者 岸田森(1964年 – 1968年) 内田裕也(1973年 – )
著名な家族 内田也哉子 本木雅弘 内田伽羅
主な作品
テレビドラマ
『時間ですよ』
『寺内貫太郎一家』
『ムー』
『ムー一族』
『影の軍団シリーズ』
『夢千代日記』
『はね駒』
『はみだし刑事情熱系』他映画
『夢千代日記』
『命』
『東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?』
『わが母の記』
『万引き家族』
引用元:Wikipedia
浅田美代子さんのプロフィール
身長 157cm
血液型 B型
職業 女優、タレント、歌手
ジャンル テレビドラマ、映画、舞台、バラエティ番組への出演
活動期間 1973年 – 1977年 1983年 –
活動内容
1973年:『時間ですよ(第3シリーズ)』でデビュー
同年:『赤い風船』で歌手デビュー
1974年:『寺内貫太郎一家』
1977年:吉田拓郎と結婚、引退
1983年:吉田と離婚、女優として芸能界復帰
1991年:『101回目のプロポーズ』
1992年 – 2014年:『さんまのからくりTV』(1996年より『SUPERからくりTV』)
1994年 – 2009年:『釣りバカ日誌』シリーズ配偶者 吉田拓郎(1977年 – 1983年)
事務所 テアトル・ド・ポッシュ
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
『時間ですよ』
『さくら』
『新選組!』映画
『釣りバカ日誌』シリーズバラエティー番組
『さんまのSUPERからくりTV』
『メレンゲの気持ち』
引用元:Wikipedia
樹木希林さんと浅田美代子さんは、テレビドラマ「時間ですよ」で出会い、それから長いお付き合いを続けてきた仲です。
浅田美代子さんにとって、ある時はお母さん、ある時はお姉さん、またある時は親友のような仲だったようです。
樹木希林さんと浅田美代子さんの映画はいつ公開?
2019年春に公開予定ということですが、撮影は今年1~4月に行われて、ほぼ完成してるのだそうですよ。
映画「エリカ38」は、樹木希林さんが企画して創り上げた作品で樹木さんご本人の希望で、主演は浅田美代子さんに決まったとのことです。
樹木さんが初めて企画する作品とあって、浅田さんに演技のアドバイスをしたり、映像編集などにも意見を出すなど、尽力なさったということです。
樹木さんご本人も、主人公の62歳の女性の母親役を演じるという情報をキャッチ。
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樹木希林さんと浅田美代子さんの映画はどんなストーリー?
日本人の記憶に新しいと思いますが、昨年、ありもしない投資話を巧みな話術で12人から合計約1億8000万円も騙し取ったとして詐欺罪に問われた女性がいましたね。
当時62歳の山辺節子受刑者です。熊本地裁から懲役7年の判決を受け、現在服役している女性です。
山辺節子受刑者は、昨年4月にタイから強制送還された時の見た目がいかにも若作りな恰好と化粧でとても60代には見えないということで、茶の間の注目を集めました。
見方によっては、あの年でショートパンツに肩出しはいくらなんでも・・・ちょっと痛いという声もありました。
62歳と言えば、浅田美代子さんと同じ年齢です。40年前は可愛いアイドル的なデビューの仕方で言わばぶりっ子っぽかった浅田美代子さんは、ちょっと似ていると樹木さんには見えたのでしょうか?
山辺節子受刑者について
山辺節子受刑者は1955年3月3日、熊本県益城町で生まれました。父親はバス会社勤務、母親は専業主婦。一人っ子でした。
山辺節子受刑者が二十歳の時に、父親を脳出血で49歳の若さで亡くしています。父親からは溺愛されていたそうです。
しかし、なぜか母親から嫌われていたと本人が手記で語っています。
(樹木さんはそういう母親役を演じるのでしょうか?)
山辺容疑者は幼少期のころから男を手玉に取る術を身につけていたようで、自分の容姿は中の上と表現していました。
完璧な美人ではない方が、男性に受けがいいとわかっていたようです。
例えば、学生時代に男性教諭に叱られていた時、教諭の目を見つめ、黙って一筋の涙を流したらほとんど男性教諭は許してくれたと話しています。
山辺節子は19歳で結婚し、婿養子の夫との間に1男1女をもうけ、30歳の頃まで専業主婦をした後に離婚しています。
娘はCA、息子は一橋大学出身で外資系大企業に勤務しシンガポール支社で投資系の仕事をしているといいます。

離婚後、山辺が33歳の時、熊本に出店したスナックの名前は「スナック・アゲイン」と「メンバーズクラブ・ブルーレイン」。
お客から「ママ、ママ」と声がかかり、美人で若いホステス達よりも人気があったことが快感であったそうです。
しかし、30代後半になった時、男性から貰うプレゼントの額もうなぎ上りに上がっていく中、彼女を激怒される出来事が発生。
当時お付き合いしていた中堅会社の社長が他の女性と浮気したというのです。その女性は自分にはない飾らない美しさを持った女性だったようで、自分とは正反対のタイプだったそうです。
その時の山辺が取った行動は、歌人になることでした。
山辺43歳の時に、写真と和歌を組み合わせた写歌集を出版しています。ペンネーム原菜つ子。その会社社長の財力でいろんな宣伝を繰り広げ成功しています。
その社長は山辺のもとに戻ってきましたが、山辺の方は目標達成したということで、関係を終了しています。
次なる彼女のターゲットは、自身が会社の社長になることでした。資金は取り巻きの男性らからの援助などでいつもなんとかなってしまいました。財力のある男は無限にいるとおもっていたようです。
しかし、そんな生活を謳歌していた山辺が、51歳のときに親しくなった造花製造業の女性社長に頼まれ、会社の手形の裏書きをしてしまいますが、その会社が倒産。
山辺の会社も連鎖倒産して突如、自己破産に追い込まれるのです。
その後の山辺は、選挙のウグイス嬢やイベントの司会でなんとか生活費を稼ぎ出しながらも、贅沢していた頃の生活水準を落とせず、挙句の果てにヤミ金にも手を出すようになりました。
そこからは転落のスパイラルが・・・。知人から借金するのは彼女のプライドが許しませんでした。
知人への借金申し出をする代わりに、投資話を持ち掛けて、ヤミ金に返済する金の工面をするという生活が始まりました。
これが「つなぎ融資の女王」を誕生させた原因でした。
手口は、始めは利息のついた配当をすべて現金で手渡し(その現場を他の出資者にわざと見せる)、出資者の信用を得たら、追加で再投資させ、どんどん投資額を膨らませていきました。
ある程度金額が膨らんできたら配当を渡すことなく、最後には出資者たちの前から姿を消すのです。
山辺節子受刑者についてはざっとこんな感じなのですが、「エリカ38」では、そのどこまでを表現するのか?単に原案というか参考というか?の扱いなのか?
ストーリーについては、まだ明らかになっていませんね。出演者も浅田美代子さん主演、母親役に樹木希林さん、役柄不明ですが古屋一行さんが出演されるという情報だけです。
もしかすると、浮気をしてしまう中堅会社の社長さんの役かな?と勝手に思っています。それとも、溺愛する父親役?
山辺受刑者は、母親に二人の子供を任せっきりで、自分は遊び惚けていたという情報もありました。樹木さんはどんな母親役を演じるのでしょうか?興味津々です。
まとめ
樹木希林さんの訃報が報道されて、連日関連の話題で持ち切りです。
日を追うごとに樹木希林さんの偉大さがわかって、亡くなってからも影響力をもつ女優さんが他にいらしただろうか?と思います。
そんな素敵な女優さんと長年、共に過ごせた浅田美代子さんを羨ましく思ってしまいました。
どうか、「エリカ38」の大ヒットしますようにと心から祈ります。公開されて、観に行けたら感想を追記しようかな?
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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